努力と成功についてもっともらしい格言として、以下のものがある。

「努力するものが成功しているとは限らない。
 だが、成功している者はすべからく努力している。」
という格言である。

2行目に注目すると、
「成功している者は、努力している者である」
という命題を述べていることに気づく。
もし、この命題が真であれば、その対偶も真である。
この命題の対偶は
「努力していないものは、成功していない者である」
これの真偽を見てみよう。

これを真と証明することは難しいので、反例を探してみることにしよう。
つまり、努力していないにも関わらず、成功している者を探せばいい。
その前に「成功」と、「努力」の定義が先になるかもしれない。
成功にはいろいろな種類があるし、普遍的な定義は難しい。
金銭的成功、地位的成功、いろいろあるが、ここでは金銭的成功に限ろう。
同じく、努力についてもその普遍的な定義は難しい。ここではひとまず努力の定義は置いておこう

反例を探してみたが、反例はすぐに見つかった。
民主党の鳩山前首相である。
鳩山前首相は月々のお小遣いが1500万円である。
年収3000万円を超えていれば間違いなく、現在の日本では勝ち組(成功者)といえるであろう。
それを大幅に上回る収入を、鳩山前首相は労働を提供するでもなく、リスクを取るでもなく得ていたわけだ。
努力していない者(ルーピー)でも、成功(年収1億8000万円)している、という反例が見つかった。
よって、
「成功している者は、努力している者である」という命題は偽である。

命題や論理を理解していない人間は、この結論を受け入れず
「じゃあ怠けてた方がいいってのかよ」
「努力が全部無駄なわけないだろ」
とか、見当違いの批判をしたがる。

前述の命題を偽であると証明して支持された結論は
「努力していない者でも、成功する場合がある」
という事と
「努力が絶対に成功に結びつくわけではない」
ということである。

もちろん「成功の度合い」と「努力の度合い」を統計的に分析すると正の相関が得られ、
「努力すれば、成功するという傾向が見られる」
という結論が得られるかもしれないし、この結論は、
「努力していない者でも成功する場合がある」
という命題と矛盾しない。
が、統計的に成功と努力のデータを取ったものはいない。
また、「努力」や「成功」は解釈に恣意性が入りやすく、
結果的に「成功」したから、そのために行った行動が「努力」と認められ、
「失敗」したから今までの行動が「徒労」と認識される恐れがある。

結局俺が言いたいことは、
「努力」も「怠ける」も好きにしろ、
どうせ死ぬんだし、自分が自分の生き方を「よし」と思えればいいのだ。
こう思える人間をニーチェは「超人」と呼んだらしい。
神は死んだらしいぞ。